ゆきの食魔日記

プチ食魔ゆきのつれづれです。

江島杉山神社@墨田区千歳一丁目(その7)  

江島杉山神社@墨田区千歳一丁目


江島杉山神社 由緒

墨田区千歳1-8-2
03-3863-1308

当社は神奈川県藤沢市江島神社の弁財天を奉斎し、
またその弁財天を深く信仰した杉山和一を併せ祀る。

杉山和一(慶長15<1610>年~元禄7<1694>年)は
三重県津市の武家の生まれで幼い頃失明し、
身を立てるために鍼術を志す。
江戸の山瀬琢一に入門し修行に励む中、
江戸弁財天の岩屋にて七日七夜の参籠をした。

業が明けた日外に出ると大きな石に躓いてしまうが、
何か手に刺さる物があり探ってみると、
筒の様にくるまった枯葉(スダジイ)の中に一本の松葉が入っていた。

「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」

こうして、現在鍼治療の主流である管鍼術が生まれた。
跪いた医師は「福石」として、本社江島神社の境内に祀られている。
この語より深く鍼治を学ぶため京都の入江豊明の元へ入門する。
そして江戸で治療所を開くと、その噂は瞬く間に広がった。
同時に多くの弟子を輩出し、世界初の盲人教育の場、職業の確立を進めた。
寛文10(1670)年1月、和一は61歳にして検校の位を受けた。
その名声により五代将軍徳川綱吉の石として務めるようになる。

元禄5(1692)年5月9日将軍より総検校に任ぜられる。
和一が83歳の時、綱吉公の難病を治療した功により、
「何か望みのものはないか」との問いに、
「唯一つ、目が欲しゅうございます」と答え、
ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜り、
更に和一が高齢になっても月参りを欠かさなかった
江ノ島弁財天が敷地内に勧請された。
翌年には壮麗な社殿が建立、
本所一ツ目弁財者と呼ばれ江戸名所となり、多くの信仰を集めた。
元禄7(1694)年5月18日84歳没。
明治4年、当道座組織が廃止され総録屋敷もボッシュされるが、
当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となる。
明治23年4月杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀。
震災、戦災により二つの社殿とも消失するが、
戦後昭和27年合祀し、江島杉山神社となる。
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Posted on 12:41 [edit]

category: 寺・神社・仏閣・史跡

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